10年前の今日,スイスのルツェルンに滞在していた。
折しも有名なルツェルン音楽祭の真っ最中で,欧州一円の著名音楽家たちがこことオーストリアのザルツブルグを掛け持ちで,集っていた。
折しも有名なルツェルン音楽祭の真っ最中で,欧州一円の著名音楽家たちがこことオーストリアのザルツブルグを掛け持ちで,集っていた。
広大なフィーアバルトシュテッテ湖に面したルツェルンの夏は実に美しい。
西に湖が広がり,北岸は瀟洒な造りの町並みが並び,借景ともいうべき周囲のスイスアルプスの山々と好対照を為す。
西岸には,映画「ベン・ハー」にも出てきたローマ帝国のユダヤ総督ビラトの名を冠したピラトゥス山(2,132m)が聳え,南にはティトリス山(3,239m)がある。
そして,南東岸にはシラーの「ヴィルヘルム・テル」の舞台となったアルトドルフの街がある。
西に湖が広がり,北岸は瀟洒な造りの町並みが並び,借景ともいうべき周囲のスイスアルプスの山々と好対照を為す。
西岸には,映画「ベン・ハー」にも出てきたローマ帝国のユダヤ総督ビラトの名を冠したピラトゥス山(2,132m)が聳え,南にはティトリス山(3,239m)がある。
そして,南東岸にはシラーの「ヴィルヘルム・テル」の舞台となったアルトドルフの街がある。
音楽祭の開かれるのは,ルツェルン駅そばのクンストハウスと呼ばれる市立美術館がメインだが,湖岸から程近い場所だけに,周りは出店や野外ステージが立ち,湖岸祭の様相を呈していた。
その岸から湖北岸を見ると,夏の陽光にきらめく湖面の向こうにグランドホテル・ナチオナールやパラスホテル,カジノといった伝統的な町並みが立ち並び,あたかもコート・ダ・ジュールから見たモンテカルロにいるような錯覚に陥る(・・・と言っても行ったこと無いが・・・)。
夜には花火が盛大に打ち上げられた(夢うつつで,ベッドの中で音だけ聞いた)。
その岸から湖北岸を見ると,夏の陽光にきらめく湖面の向こうにグランドホテル・ナチオナールやパラスホテル,カジノといった伝統的な町並みが立ち並び,あたかもコート・ダ・ジュールから見たモンテカルロにいるような錯覚に陥る(・・・と言っても行ったこと無いが・・・)。
夜には花火が盛大に打ち上げられた(夢うつつで,ベッドの中で音だけ聞いた)。
ところが,その夜半から明け方にかけて突然の嵐がこの街を見舞った。
中欧の夏は,日中は30℃を越える暑さとなるが,日が落ちると途端に涼しくなりエアコンは全く必要ない。
深夜,風と吹き込む雨に気付き,開け放っていた窓を閉めようと寝惚けながら窓際まで歩き,戸締まりをしてベッドに戻ったというかすかな記憶がある。
そしてその翌朝,20年来愛聴してきた偉大な音楽家がこのルツェルンで生涯を終えたことを知ったのは,不覚極まりないことに二ヶ月を経てからであった・・・。
中欧の夏は,日中は30℃を越える暑さとなるが,日が落ちると途端に涼しくなりエアコンは全く必要ない。
深夜,風と吹き込む雨に気付き,開け放っていた窓を閉めようと寝惚けながら窓際まで歩き,戸締まりをしてベッドに戻ったというかすかな記憶がある。
そしてその翌朝,20年来愛聴してきた偉大な音楽家がこのルツェルンで生涯を終えたことを知ったのは,不覚極まりないことに二ヶ月を経てからであった・・・。
ラファエル・クーベリック(1914.6.29-1996.8.11)。
世界的ヴァイオリニストヤン・クーベリック(1880-1940)の子として,ボヘミア(現スロバキュア)に生まれ,1942年には若くして名門チェコフィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者となるも,1948年チェコの共産主義政権を嫌い英国のエディンバラ音楽祭出演を機に西側へ亡命。
その後,祖国を失った音楽家として,コヴェントガーデン王立歌劇場(ロイヤルオペラ)やシカゴ交響楽団といった名門の音楽監督を歴任。
彼の演奏するスメタナの連作交響詩「わが祖国」は絶品と言われた。
特に1961年から引退を宣言した79年まで主席指揮者を務めたミュンヘンのバイエルン放送交響楽団とのコンビは,このオーケストラの演奏精度を飛躍的に高めることになり,数々の名演奏を生むことになる。
人柄同様に穏健で中庸の美とも言うべきそつのない演奏が信条だったが,実演では火の出るような激しい演奏を聴かせることもあった。
86年,持病の関節炎と痛風の治療と作曲活動専念のため引退。
ところが,89年チェコの共産主義政権が倒れると翌年40数年ぶりに帰国し,チェコフィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立ち「わが祖国」を指揮。
翌年は,スメタナとともに同郷のもう一人の大作曲家であるドヴォルザークの生誕百周年記念コンサートで,これも十八番の「新世界交響曲」を指揮。
さらには来日公演で「わが祖国」を指揮。
スイス国籍をかなり以前に取得し,ルツェルンに住んでいたことは知ってはいたものの,その時はすっかり失念していた・・・。
世界的ヴァイオリニストヤン・クーベリック(1880-1940)の子として,ボヘミア(現スロバキュア)に生まれ,1942年には若くして名門チェコフィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者となるも,1948年チェコの共産主義政権を嫌い英国のエディンバラ音楽祭出演を機に西側へ亡命。
その後,祖国を失った音楽家として,コヴェントガーデン王立歌劇場(ロイヤルオペラ)やシカゴ交響楽団といった名門の音楽監督を歴任。
彼の演奏するスメタナの連作交響詩「わが祖国」は絶品と言われた。
特に1961年から引退を宣言した79年まで主席指揮者を務めたミュンヘンのバイエルン放送交響楽団とのコンビは,このオーケストラの演奏精度を飛躍的に高めることになり,数々の名演奏を生むことになる。
人柄同様に穏健で中庸の美とも言うべきそつのない演奏が信条だったが,実演では火の出るような激しい演奏を聴かせることもあった。
86年,持病の関節炎と痛風の治療と作曲活動専念のため引退。
ところが,89年チェコの共産主義政権が倒れると翌年40数年ぶりに帰国し,チェコフィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立ち「わが祖国」を指揮。
翌年は,スメタナとともに同郷のもう一人の大作曲家であるドヴォルザークの生誕百周年記念コンサートで,これも十八番の「新世界交響曲」を指揮。
さらには来日公演で「わが祖国」を指揮。
スイス国籍をかなり以前に取得し,ルツェルンに住んでいたことは知ってはいたものの,その時はすっかり失念していた・・・。
こうした奇妙な符合や因縁のようなものは,実は結構ある。
以前5月11日のエントリで述べた,ドイツの指揮者ルドルフ・ケンペ(1910-76)の訃報に接した時もそうだった。
レコード店で彼の指揮したLPを見た日が,彼が生涯を終えた日であった。
さらに,ルツェルンを立った三日後,ウィーンのカフェでビールを飲みながら昼食をとっている際に,現地ガイドの方に,
「今年(1996年)はブルックナーの没後100周年だが,イヴェントのようなものは無いのか」
といったことを聞いたところ,
「リンツ郊外のザンクトフローリアン寺院(ブルックナーがオルガン奏者を務めていた)にセルジゥ・チリビダッケ指揮するミュンヘンフィルが来て演奏していった」
とのことだった。
その日,1996年8月14日,当のチェリビダッケはパリで死去していたのだった・・・。
以前5月11日のエントリで述べた,ドイツの指揮者ルドルフ・ケンペ(1910-76)の訃報に接した時もそうだった。
レコード店で彼の指揮したLPを見た日が,彼が生涯を終えた日であった。
さらに,ルツェルンを立った三日後,ウィーンのカフェでビールを飲みながら昼食をとっている際に,現地ガイドの方に,
「今年(1996年)はブルックナーの没後100周年だが,イヴェントのようなものは無いのか」
といったことを聞いたところ,
「リンツ郊外のザンクトフローリアン寺院(ブルックナーがオルガン奏者を務めていた)にセルジゥ・チリビダッケ指揮するミュンヘンフィルが来て演奏していった」
とのことだった。
その日,1996年8月14日,当のチェリビダッケはパリで死去していたのだった・・・。
それから10年。
クラシック音楽界は指揮者難が言われ,発売される新譜の売り上げが頭打ちとなる中,かつての放送録音の復刻CDのみが売れているという。
そして,その中でもケンペとクーベリックの演奏は抜群の売れ行きとのことである・・・。考えてみたら,チェリビダッケも含め,私も正規盤・海賊盤を合わせて数十枚は持っている・・・。
今宵は,過去を偲びつつ71年にボストン交響楽端と共に録音した「わが祖国」か,86年の引退間際にベルリンフィルに客演した際のブルックナーの9番でも聴くとしよう・・・。
クラシック音楽界は指揮者難が言われ,発売される新譜の売り上げが頭打ちとなる中,かつての放送録音の復刻CDのみが売れているという。
そして,その中でもケンペとクーベリックの演奏は抜群の売れ行きとのことである・・・。考えてみたら,チェリビダッケも含め,私も正規盤・海賊盤を合わせて数十枚は持っている・・・。
今宵は,過去を偲びつつ71年にボストン交響楽端と共に録音した「わが祖国」か,86年の引退間際にベルリンフィルに客演した際のブルックナーの9番でも聴くとしよう・・・。